雑記

映画『すずめの戸締り』感想と考察を共有したい|新海誠最新作【※ネタバレあり】

R4.12.4 映画『すずめの戸締り』感想と考察を共有したい|新海誠最新作【※ネタバレあり】

2022年11月11日(金)
新海誠さんの最新作である『すずめの戸締り』が公開された。

本記事では、作品を観てきた感想とそこから感じたことを考察っぽく語っていく。
中盤~後半ではネタバレを多く含むため、まだ作品を観ていない人は注意して欲しい。

作品鑑賞後にこの記事を読んで、一緒に感想や考察を共有できたらと思う。
そんな時間も映画鑑賞の楽しさの一部ではないだろうか。

なお、この記事に書かれていることには、個人的な見解が多く、明確な根拠はほとんどないと言って良い。あくまで僕個人の意見であると理解して欲しい。

それではさっそく感想に入って行く。

『すずめの戸締り』の感想と考察に向けて

さっそく感想に…と思ったが、先にもう一つだけ注意して欲しいことを書いておこう。

事前情報や予告映像でも示されている通り、この作品は『震災』をテーマにした作品である。

上映開始から約1ヶ月が経過した現在、多くの方が行っているレビューや感想を見てもわかるが、人によっては(特に被災者の方)嫌悪感を抱く可能性のある作品となっている。

つまりは、賛否両論のある作品なのだ。

ただ、作品から感じる感想は言うまでもなく人それぞれであり、だからこそ他人のレビューに惑わされることなく、自分自身で観て、何を感じるのかが大切なのだと僕は思う。

また、誰かに刺さる作品というのは、往々にして多くの人から批判を受けるような作品であるというのも世の常だろう。逆に言えば、誰からの批判も生まない作品など、誰からも好かれないのではないだろうか。

以上のことを踏まえて、この記事含め、他の人の記事も読んでみると面白いかもしれない。

総評:スルメのような作品

前置きが長くなったが、感想と評価に入って行こう。

僕の感じた総評としては、『スルメのような作品』だった。
表現が分かりづらいだろうか、申し訳ない。(笑)

最近の新海誠作品(「君の名は。」「天気の子」)は以前の新海誠作品(秒速5センチメートル、言の葉の庭)に比べて、映画を観に来る一般大衆向けに作られており、とても分かりやすくなっていると感じていた。

しかし、『すずめの戸締り』を観終わってすぐに、一番感じていたのは多くの疑問だった。

物語全体としては、少女と椅子(美青年)のバディのよる軽快な冒険活劇として描かれている。過去の作品にはなかった展開の速さとテンポの良さが感じられ、当初から旅の目的が「日本各地の扉を締め、厄災を鎮める」とはっきりしていることも特徴だ。

物語終盤には、要石になった草太(そうた)を助けるシーン、幼少期の鈴芽(すずめ)を救ったシーンなど、わかりやすく感動できるシーンも当然存在していた。

だがしかし、どこかが引っかかってモヤっとしていたのだ。

作品を通して伝えたかった事はなんなのか、あのセリフにはどんな意味があったのか。
作品を観終え、家に帰ってからもずっと考えていた。

そこから咀嚼を繰り返して、新海誠監督のインタビュー記事や考察記事を読み漁って、ようやく自分の中である程度納得することができたのだ。

そうして出た感想が、「スルメのように噛むほどに味の出る素晴らしい作品」というものだ(笑)

作品を通して伝えたかった事は?

ここでは、僕が考える「新海誠監督が『すずめの戸締り』を通して伝えたかったであろうこと」をいくつか紹介していく。

合っているかもしれないし、間違っているかもしれない。僕は新海誠監督本人ではないので、当然だ(笑)

あくまで個人的見解であることを理解した上で読んで欲しい。

震災がテーマの作品

冒頭から説明している通り、この作品は震災をテーマにした作品だ。

主人公の岩戸鈴芽(すずめ役:原菜乃華)は、幼少期に震災によって母親を失くした経験がある。作品を鑑賞する我々の中にも、そういった経験をした人は多くいるだろう。

人の力ではどうにもならない『災害』はいつもどこかに潜伏しており、それがいつ顕在化するかは誰にもわからない。

扉を閉める際には、昔そこに住んでいた多くの人々の「いってきます」「いってらっしゃい」といった想いや感情が流れ込んでくる表現があった。

「今ある平穏な日常は明日もそこにあるとは限らない。当たり前ではないのだ。」

『すずめの戸締り』がそれを伝える作品であったことは間違いない。

また、新海誠作品の「君の名は。」「天気の子」についても、同様に自然災害をテーマにした作品である。今回はこれらの作品との繋がりについても考えてみた。

「君の名は。」では、過去に起きた『彗星の落下』というどうにもならない大災害に対して、主人公の入れ替わりという特殊能力によって、災害から被災者を救うことに成功する。

つまりは、『過去を改変することで、大災害から人々を救った』という物語だったのだ。(新海誠作品にしては珍しい、ハッピーエンド作品だったため、当時はかなり驚いた記憶がある。)

それに対して「天気の子」では、『大洪水』というそれこそ防ぎようのない自然災害に対して、一人の少女を犠牲にして世界を救うか、世界よりも一人の少女救うかという究極の二択を迫られた主人公が、『世界を犠牲にしてでも、少女を選ぶ』という物語であった。

いわゆる王道の「セカイ系」の作品だと言えるだろう。
(個人的にはこのセカイ系が心にグッとくるわけではあるが…。)

では、今作『すずめの戸締り』はどうだったのだろうか。

今作では、過去を変えるわけでもなく、誰か1人を救うわけでもなく、これから起きるであろう地震を未然に防ぐために、各地で『戸締り』をしていくという物語である。

では、この物語を通して我々に何を伝えたかったのか。

それは物語最後の『幼少期の鈴芽を抱きしめるシーン』に全てが詰まっているのではないだろうか。

その時、現在の鈴芽が幼少期の鈴芽に言った「心配しないで。あなたはこの先ちゃんと大きくなる。光の中で大人になっていく。私は、鈴芽の明日。」という台詞。

この台詞には、震災によって母を失い、未来が信じられなくなった自分自身に対して、
『未来の希望を約束する』という意味が込められているのだろう。

『すずめの戸締り』は「君の名は。」や「天気の子」のように、「ぼく」が「きみ」を救う物語ではなく

『大切な人の死の受け入れ、過去と向き合うことで、自分自身を救う物語』

なのだ。

多くの出会いが、人を成長させる

新海誠監督は、作品に関するインタビューの中で『すずめの戸締り』はあるジブリ映画の影響を受けていると語っていた。

その作品とは「魔女の宅急便」である。

魔女の宅急便は、少女の自立を描いている作品だ。旅の途中にキキが出会う人々は、実はあらゆる“未来の自分の可能性”を示唆しており、いろいろな人々に出会うことで自分自身を再発見していく、という物語構造になっている。

そんな筋書きに影響を受け、本作では鈴芽が日本中を旅する中で、様々な職業を持つ女性に出会い、助けられ、成長していくという構成になっている。

鈴芽の第一印象は、明るく元気で活発な普通の女の子。
全ての出来事に大げさに反応し、全力で取り組む様子に、作品を鑑賞中には少しうるさいなとも感じていた。(笑)

だが、物語が進むにつれてわかってくる、鈴芽のドライな『死生観』にどこか複雑さを感じた。

母と同じ看護師を目指していること、草太を手当したりダイジンに餌をあげようとするところから、鈴芽は誰かを「救いたい」性格であることが分かる。

ところが、作中を通して「自分の死」に対して躊躇している様子は全くなく「生きるか死ぬかはただの運」だと言い切るシーンもある。

きっとその死生観の背景には、震災で自分が生き残ったことへの罪悪感、生きたいと思った記憶の忘却、そして環の存在が大きく関係しているのではないだろうか。

鈴芽は、自分のせいで環の人生を変えてしまったと思っている節があり、「自分がいなければ」、「自分は必要なのか」、「自分は愛されているのか」と自問(自責)しながら生きて来たのかもしれない。

しかしその心は、草太と日本中を旅する中で変化していく。

フェリーに乗って旅に出る時に感じたワクワクも、千果とその家族の優しさに触れたことも、ルミの家で子育ての大変さを知ったことも、環に反抗し本音をぶつけ合ったことも、二人乗りの自転車で環の愛を再確認できたことも、全てが必要なことだったのだろう。

そして、常世の丘上で草太の記憶に触れたとき、鈴芽は、草太からの感謝の気持ちと、自分を必要としてくれる想いを感じた。 この世界には、自分を大切に想ってくれる人たちがいて、そして、自分もその人たちのことが本当に大切なのだと、そう確信できたからこそ、鈴芽は心の底から「死ぬのはこわい」、「生きていたい」と願うことができたのではないだろうか。

病室での会話の際、草太の祖父は、人生で通る後ろ戸は一つだけ、と言っていた。これは、人は死ぬときに一度だけ、それぞれの扉を通る、という意味ではないだろうか。

つまり、吹雪の中をさまよった末に後ろ戸をくぐった幼い鈴芽は、本当はそのまま命を落とす運命だった。でも、そんな幼い鈴芽に生きる希望を与えて、明日を生きて欲しいと願ったのは、鈴芽自身だった。

それは、どこか投げやりに考えていた自分の命が、本当はとても大切で、とても尊いのだと、心から信じられたからこそ、強く踏み出せた一歩なのだと僕は思う。

そしてそれこそが、新海誠監督が一番描きたかった鈴芽の『成長』なのではないだろうか。

本当に大事なことには気づきにくい

作中で印象に残っている台詞がある。

うろ覚えではあるが、『閉じ師の仕事は誰にも気づかれない』というような台詞だ。
作品を通して、普段は気づきにくい大切なことが伝えられているように感じた。

  • 身近なところで言えば、環の愛であったり、母の形見である椅子の想い出
  • 草太のように、世界にとってなくてはならない使命を全うする者の存在
  • 旅を通して感じた、人々の温かみ
  • 最後に気づいた、自分自身の命の大切さや生きる希望

などである。

灯台下暗しという言葉もあるように、人間は近くにあるものにはなかなか気づけない。

『今自分の近くにあるものに気づき、大切にしよう』

そんなことを伝えている作品でもあるのではないだろうか。

場所を悼む物語

新海誠監督は、インタビューの中で本作を『場所を悼む物語である』と語っていた。

少子高齢化が進む中で、消えていってしまう町や家を目にする機会が増え、どんどん寂しい場所になっていく。だが、建物を建てる際には地鎮祭”をしたり餅撒きをしたりするのに対し、使わなくなるときには何もしない。

人が亡くなったときはお葬式で故人を悼むが、大切だった場所が失われていく中で僕らは何ができるのか。そこから“場所を悼む物語”という発想が生まれたそうだ。

また、物語後半には、芹澤朋也(神木隆之介)が高台から被災地を見下ろした際、
「この辺ってこんなに綺麗だったんだな。」と漏らすシーンがある。

それに対して、鈴芽は、「綺麗?ここが?」と返した後、
すぐに「なんでもない」と言って黙る。

これはきっと、実際に災害を経験した者と、それを知識としてしか知らない者との感覚の違いを表現しているのだろう。実際に震災を経験していない者にとってはどれだけ大きな災害であったとしても、テレビの中の出来事にすぎないのだ。

さらには、草太の台詞として「人の心の消えた寂しい場所に、後ろ戸は開く」ともあった。

実際に震災の被害を受け、未だに避難民となっている人や被災の恐怖から立ち直れない人も現実世界には多くいるだろう。

新海監督はきっと、震災を知識としてではなく、そういった人々の想いも含めて忘れないで欲しいということを、作品を通して伝えたかったのではないだろうか。

そういった意味も込めて“場所を悼む”という表現をしているように感じた。

疑問点&気になった点

ここからは、いろんな記事や考察を読んでも解決しなったことを、自分なりに考えて行こうと思う。わかりやすい解説があればコメントなどでぜひ教えて欲しい。

世界感や設定について

セカイ系作品だったのか?

どうしてもモヤモヤが解消されなかったのはここだ。

自分の中での結論としては、

『要石になる運命だった閉じ師(草太)を、鈴芽は自分を犠牲にして救おうと決意。鈴芽の想いをくみ取ったダイジンが再度身代わりになることによって二人ともが救われた』

という、二重構造とも言えるセカイ系作品だったのだろう。
このように理解した。(勝手にw)

草太の祖父の発言から読み取るに、おそらくダイジンは過去に要石となって世界を救った閉じ師だったのではないだろうか。
そして、なんらかの影響でその力が弱まっていたところに、鈴芽が最後のきっかけを与えてしまった。

要石になった草太を抜くのには相当な力が必要だったにもかかわらず、始めの要石(ダイジン)が簡単に抜けたのはそのためだったのだろう。

本来であれば、そこでダイジンは役目を終え、次の閉じ師である草太が要石になるはずだった。しかし、自分を救って愛を与えてくれた鈴芽の気持ちを理解したダイジンは再び要石になることを決意したのだろう。

それによって二人は現世に戻ってくることができたのだ。

だが、気になるのはその後、要石(ダイジン)はどうなっていくのか。いつまでその使命を全うできるのか。救いはあるのか。閉じ師の役目はどうなるのか。そういった部分である。

望みは薄いかもしれないが、今後の作品でその辺りに触れる内容があれば嬉しく思う。

■常世(とこよ)とは?

『全ての時間が集まる場所』

常世について、作中ではそれくらいしか説明がない。

草太の祖父の、人生で通る後ろ戸は一つだけという言葉からはおそらく、人が死ぬときに一度だけそれぞれの扉を通るという意味がうかがえる。

ということはやはり、死後の世界…なのだろうか。

ダイジンとサダイジンの目的と行動理念

鑑賞中ずーっとわからなかったのはこれだ。

ダイジンもサダイジンも元々は要石になっていた。
また、草太の表現では「神様」だとも言っていたし、草太の祖父はダイジンに対してかなり恭しい(尊敬するような)態度で接していた。

にもかかわらず、作中のダイジンはとても無邪気で、餌を与えてくれた鈴芽に対して一直線の愛情を表現していた(それが歪んだ愛だとは気づかずに)。

さらには、地震を未然に防ぐ閉じ師であり、本来は同じ目的を持っているであろう草太に対して、嫌悪の心を持っていた。

これがすごく不思議で、理解ができないのだ。

物語の終盤で、鈴芽を扉に案内していたことはわかったが、それだけならわざわざ草太を要石にする呪いをかけた意味もわからない。閉じ師の仕事は草太に任せておいて、最後の最後に要石にしてやれば済んだはずだ。そうすれば鈴芽に憎まれることもなければ、鈴芽の傍にずっと居れたはずなのに。

結果的には、ダイジンが草太を椅子に変えなければ、鈴芽が扉を閉めに行くことはなかったし、草太が要石になっていなければ、鈴芽は常世に行くこともなかった。そうすれば幼少期の鈴芽を救うこともできなかった…。

そうか。
もしかしたら、ダイジンは、鈴芽のことを愛するあまり、幼少期の鈴芽のもとに今の鈴芽を送ってあげたかった…のかもしれない。

ふむ、考えれば考えるほど謎である。
なにか腑に落ちる解釈があればぜひ教えて欲しい。

セリフについて

■草太:「人の心の消えた寂しい場所に、後ろ戸は開く」

この台詞には上記でも触れたが、おそらくは『忘れ去られていく廃墟と、忘れられていく震災の影響を比喩的に表現している』のだろう。

しかしわからないのは、ではなぜ東京に後ろ戸があり、それが開いてしまうのかということ。東京は人も多く、廃墟でもない。

その点から考えると、ここで言う「心」とは、人や動物、植物も含めた「命」「土地」「自然」を敬い、悼むことなのかもしれない。

それ故に、たくさんの土地や自然を耕し、その上に最も多くの人工物を建造したであろう東京には、あれほどまでに大きな後ろ戸があったのだろう。そして、その都市としての発展と引き換えに「心」を忘れやすい環境だからこそ、ミミズの本体は東京から出現するのではないだろうか。

■草太&鈴芽:「お返し申す」

開いてしまった後ろ戸を閉める時、昔の人々の想いを感じながら二人は祝詞(のりと)を唱える。

そして最後に、「お返し申す」と叫びながら扉を閉めていた。

この台詞にはどんな意味が込められているのだろうか。

「何を」返すのだろうか。

上記の台詞から推察すると、
人々が忘れてしまった「心」を、閉じ師が呼び起こして後ろ戸に返す…ということかもしれない。

■ダイジン:「今から人がいっぱい死ぬね」

上記でも説明したが、ダイジンは元々は要石になってまで、震災から人を助けた存在であるはずだ。

にもかかわらず、なぜこんな発言をするのだろう。
しかもあんなにも無邪気に。

これは本当に個人の推察にすぎないが、もしかしたら、要石にされていたのは昔の閉じ師の子供なのではないだろうか。

それも、使命も役割もまだわかっていない、幼少期の閉じ師。

歴史にあまり詳しい方ではないが、昔は「生贄」という文化があったという話も聞く。(そういえば、天気の子でも陽菜は「生贄」という設定だったな。)

人の力ではどうしようもできない震災(ミミズ)を神になぞらえて、その神に生贄として閉じ師の子どもを捧げた…そう考えれば、ダイジンの発言の幼さや不気味な愛情表現にも納得がいく。

だからこそ、生贄にされた(愛されなかった)自分と、閉じ師であるにもかかわらず、自分の好きな鈴芽に想いを寄せられている草太を比較し、嫉妬していた…とも考えられないだろうか。

全く見当違いかもしれないが、これ以上は考えがまとまらないのでこの辺りで終わりにしよう。(笑)

まとめ:『すずめの戸締り』は多くのことを感じさせてくれる素晴らしい映画

長文な記事を最後まで読んでいただきありがとうございます。

新海誠作品全てに言えることかもしれませんが『すずめの戸締まり』は、敢えて劇中で全てを語らない作りにしているようにも見え、その「曖昧さ」ゆえに、観る人によって受け取るメッセージも異なるように感じました。

今までの作品とは違い、比喩的な表現を使わずに、直接的に「震災」について触れることで、より多くのことを感じさせてくれる作品でした。

実際の震災を思い起こさせる直接的な表現や、地震速報のアラート音、芹澤の発言や、鈴芽の死生観など、震災の傷跡の癒えない方にとっては、とても観ていられないような苦しいシーンもあったかもしれません。

それ故の賛否両論なのでしょう。

しかし、だからこそ、そういった方々の気持ちを忘れて欲しくないという想いや、けれどもそれを受け入れて生きていくしかないんだという、様々な想いをこの作品に込めたのではないでしょうか。

賛否両論はあるかもしれませんが、僕としては間違いなく「観て良かった」と思える作品です。改めて新海誠作品を好きになりました。

この記事を読んだ方が、この作品をより好きになれれば。
嫌悪感を抱いてしまった方が、この作品を少しでも好きになってくれれば嬉しいです。

ではまたっノシ

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『すずめの戸締り』作品情報

公開日:2022年11月11日(金)
原作・脚本・監督:新海誠
キャラクターデザイン:田中将賀
作画監督:土屋堅一
美術監督:丹治匠
音楽:RADWIMPS 陣内一真
主題歌:「すずめ feat.十明」 RADWIMPS
制作:コミックス・ウェーブ・フィルム
制作プロデュース:STORY inc.
◆予告映像 https://youtu.be/FVU0zESXS5c
◆公式サイト https://suzume-tojimari-movie.jp/
◆公式Twitter https://twitter.com/suzume_tojimari
◆公式Instagram https://instagram.com/suzumenotojimari_official/
◆公式TikTok https://tiktok.com/@suzumenotojimariofficial?_t=8VQFcnSSR7Z&_r=1

■キャラクター:声優一覧

  • 岩戸鈴芽役:原菜乃華さん
  • 宗像草太役:松村北斗さん
  • 岩戸環役:深津絵里さん
  • 宗像羊朗役:松本白鸚さん
  • 岡部稔役:染谷将太さん
  • 二ノ宮ルミ役:伊藤沙莉さん
  • 海部千果役:花瀬琴音さん
  • 岩戸椿芽役:花澤香菜さん
  • 芹澤朋也役:神木隆之介さん
  • ダイジン役:山根あんさん

参考記事等URLまとめ

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しなちゃん
■ゲームとアニメが好きな29歳ヲタク♂ ■FIRE(経済的自立&早期リタイア)を目指して生活中 ■社会人8年目|資産1,200万円|簿記2級|手話4級 ■飽き性なので日々新しいことに挑戦中⇒ブログ・Instagram・YouTube・FP3級 etc...

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